大判例

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東京高等裁判所 昭和27年(う)3627号 判決 1954年11月12日

控訴人 被告人 松井大周

弁護人 正木昊 高橋銀治

検察官 小西太郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金五万円に処する。

右罰金を完納できないときは金五百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

押収に係る別紙目録記載物件はこれを没収する。

理由

本件控訴の趣意は末尾に添附した弁護人正木昊、同高橋銀治名義の控訴趣意書記載のとおりで、これに対し当裁判所は次のとおり判断する。

論旨第二点について。

原判決添付の没収品目録に絵葉書(袋入り)四〇八組同八一八九枚となつているものが、実は了仙寺のいわゆる「秘仏」の写真で、これを絵葉書というのは正確でないこと所論のとおりである。しかし右物件は警察官が押収したとき以来、原審に於て証拠として提出され原裁判所に領置されるまで一貫して絵葉書として表示されて来たのであり、被告人も原審公判廷でこれを絵葉書と称している事実も存するのである。してみれば、原判決がこれを没収すべきものとして判示するに当つて、没収物件目録に絵葉書と表示したこと自体何等非議すべきではない。むしろ従前の表示どおり絵葉書とせずに突如として判決中に写真何組と表示するが如きことは、場合によれば疑義を生じ、何を没収したか不明となる虞がないでもない。(本件ではかかる虞は絶無に近いと認められるではあろうが。)それ故原判決はかかる疑義を生じないようにするため、多少その実質とは異つていても、従前の取扱上の名称を踏襲し、絵葉書と表示したわけで怪しむに足りない。

そこで右「秘仏」写真が猥褻物に該当するか否かをみるに、この写真に輯録されたものの第一、二輯合計十二枚の中原審が猥褻物たることを否定した西蔵大聖歓喜天像とはりがたとを除いて爾余は性器そのものを表現しているか又は性器を人に擬らえ衣裳その他に宗教的な紛飾を施してあるか或は男女両性がことさら性行為中であることを暗示する姿態をとりつつ抱擁しているかであつていずれにせよ性器或は性交を表現したもののみなのであるから、人の性欲を刺激興奮せしめ、通常人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものたること明白であり、刑法第百七十五条の猥褻物に該当することはいうまでもないところである。

所論は

(一)  性器は古代社会に於て洋の東西を問はず、原始宗教の対象であつたし、今日もなお性器を神体として祀り、或は真面目に礼拝の対象としている多数国民のあることを否定し得ないところ本件写真の実物の多くは右の如き礼拝の対象物たりしものであり、本質上猥褻物ではない。

(二)  又「秘仏」は大正十三年以来多年了仙寺で展示され来り、戦時中は文芸品美術品に対する弾圧から一時封印しておいたが、戦後再び寺院の戦災による建物改築のための寄附金募集と地元下田町の観光地としての繁栄のために下田警察署あてに公開を公認されるよう願書を提出し、これが静岡地方検察庁に申達された結果検察官から詳細な調査を受けたが、公開を禁止する旨の指示を受けておらず、被告人始め下田町長達も公開を黙認されたものと信じて観覧に供して来たのであり、町を訪れた名士には町当局が、わざわざ本件秘仏写真集を贈呈するを常としたのみならず各地展覧会にも右写真の出品されたこと数多く、又学術書等にも本件秘仏写真が掲載されてあり、いずれも美術品又は学術品として扱はれてきた。

(三)  従つて秘仏自体本質的には猥褻物とは異るのであるから、その写真も猥褻物といえないし、被告人は拝観者にも自ら案内説明をし未成年者等には拝観を許さないよう注意し、入場者でなければ写真は購入できなかつたのである。然るに秘仏の陳列は罪とならないものとして起訴を受けず、特定の人々に直接販売する目的で所持した写真についてこれを犯罪と断じたことは民を網すもので刑法の目的に反する。

というのである。

思うに古代の社会では、人智も発達せず、性交、姙娠、出産という生命力の発生してくる由来を理解できないので、性そのものに神秘的な力を感じ、性器を崇拝するという風習を生じ、我が国各地に散在している社祠堂宇の類の中には現時なお性器を模した本件の「秘仏」と類似したものを以つて神体としているものがあり、地方民衆の尊崇を受けている事実を窺えないわけではない。しかし近代宗教は古代の性器崇拝から転化したものではなく、これと全然無関係なものであり、現時に於ける性器崇拝的風習の遺物の如きも、その実性器を性器と知りつつ礼拝しているわけではなく、祭神の本体が何であるかを知らず、かつ又知ろうとせず、昔からのいいつたえに従つて神聖なものとし畏み崇めているだけの事で、そのベールを剥ぎ実体を白日の下に曝すならば、何人と雖もこれを崇拝するの愚をやめるに至るであろう(証人武田久吉の証言参照。)本件秘仏も同様であつて、その中には嘗つては民衆の崇敬の対象であつたかも判らないものも存するが、今や一個の蒐集品としては了仙寺内に移されてしまえば聖なるものといいつたえを伝承する人とてなく、いわば宗教的ベールを剥がされた存在に過ぎないのである。してみればそれが嘗て民衆の尊敬を受けていたというだけでは、その本質が猥褻物であることを否定し得ないところといわなければならない。又学術書に本件と同様の写真の一部が掲載されたり従前屡々展覧会に秘仏写真が出陳されたからとて、学術的或は美術的価値が(もしそのような価値があるとしても)その猥褻物と認定することを妨げるものでもない。

而して記録を調査するに、了仙寺は由来日蓮宗の一寺院であるが、同寺を詣でる人々は日蓮宗の信者とは限らないのであり、格別宗教的に了仙寺と結びついているわけでなく、単に行楽の旅路を、下田町にとり、了仙寺の「秘仏」の事を聞きつたえてその観覧を求めるもの大部分なのであるから、これらの人々は秘仏を見ることにより性的な刺激興奮を味はい猟奇心を満足させんとするにあつて秘仏を学問的に研究し、或は美術的に鑑賞しようというのではないことが明白であると同時に、了仙寺住職たる被告人もこの事を知り旅客の性的好奇心に媚びることにより収益を図らんがために、猥褻物たる秘仏を人々の観覧に供し、その写真を販売してきたものと認められるのである。従つて右写真は不特定多数の観光客に販売するためのもので所論のように特定の者のみに販売する目的であつたと云えないのであり、被告人が秘仏の観覧に際し自ら案内説明し、未成年者には拝観を許さない等多少の注意を払つていたとしても、被告人の所為が刑法に触れないものとすることはできない。なるほど被告人から秘仏の公開を許されんことを求め下田警察署に願書を提出した結果、静岡地方検察庁から秘仏の調査に来た事実及びその後秘仏の公開を禁止すべしとの指示を受けたことのない事実は記録上認められないではない。しかし被告人がそれ故に秘仏の公開を許されたものと信じていたとまでは認められないのみならず、本件処罰の対象となつた所為は右秘仏の公開自体ではなく、秘仏の写真を作成し販売の目的で所持したとの所為であり、このような所為は写真の携帯も容易でこれを買い求めた人々の手から更に転々することも考えられるし、従つていつ何処で何人の目に触れないでもないことを考えると、秘仏の観覧を許すことよりも一層その弊害が大きいといわなければならない。それ故原審が右所為を処罰したことは当然で、所論のように民を網するなどという非難は当らず、論旨はそれ故いずれもその理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長裁判官 近藤隆蔵 裁判官 吉田作穂 裁判官 山岸薫一)

控訴趣意

第二点原判決は猥褻物でないものまで猥褻物と認定した違法があるから破棄さるべきである。

一、原判決物件目録中 三四、絵葉書(袋入り)四〇八個 三五、絵葉書八一八九枚は決して猥褻物ではない。先づ原判決は右の物件を絵葉書というがこれは絵葉書ではない。その大きさも官製の郵便はがきの約二倍に近く、写真の裏書に郵便はがき其他の印刷がない。社会通念上絵葉書の形状を具へていない。従つて絵葉書として使用し得るものでなく、誰の目にも簡単にふれる状態におかれるものではない。それを何故に写真と云はず、絵葉書という事実と違つた表現を用いたか、判断に苦しむところである。従つて以下写真という。

二、右の写真は了仙寺の所謂「秘仏」の写真であるが、この秘仏は性器又は性に関する彫刻品で、全部鎌倉時代から足利時代にかけて製作されたものであることは専門家の認定するところであつて、了仙寺の先住職清水帰一氏の蒐集にかかり、日本文化史上、著名な事実である。

性器は古代社会に於ては洋の東西を問はず原始宗教の対象であつたことは既に公知の事実である。そして今日に於てもなお性器を神体として祀り、或は真面目に礼拝の対象としている多数国民のあることは否定することは出来ない。現に本件写真の実物は多くの民族学者、宗教史家によつて、右の対象物と認定され、出版物に本件の実物及びその類似の写真が載つている。例へば、1国際文化画報創刊三週年記念号、昭和二十七年十月一日発行の「"下は権威ある学術書である。なお、右は現在了仙寺所有にかかるものの中から列記したのであるが、時日の余裕があればもつと有力な資料を多数提出することが出来る。

三、本件の秘仏は大正十三年から昭和十一年迄約十三年間寺内で展示されたものであるが、昭和十二年所謂戦時体制に入り文芸品美術品等に対する弾圧が強化されるに及び警察と相談づくで、封印しておくことにした。(勿論処罰によるものではない。)やがて終戦後の昭和二十一年十一月頃、寺院の戦災による建物改築等の為の寄附金募集と地元の観光地としての繁栄のため、町の有志のすすめもあつたので被告人は下田警察署に秘仏の公開を公認するよう願書を出したが、このとき下田町長も町の発展のため警察へ同様の願書を出した。署長増田荘平氏は、右の趣旨を諒とし、副申をつけて静岡地方検察庁へ申達した。その結果静岡地方検察庁検事と同沼津支部の検事等が三回に亘つて調査に来、地元関係者が立会つて詳細な調査をした。そして文書による許可はなかつたが、また禁止するという指示もなかつた。そのため被告人も地元の町長も、黙認されたものと信じて秘仏の陳列見取図と陳列届を下田警察署へ提出の上、秘仏を観覧に供した次第である。(当時の署長増田荘平氏からも黙認されたものとみるべきであるという旨の話があつた。右の事実を証明する同氏の書面写添付)かくて戦後六ケ年間、無事に公開され、その間多数朝野の名士の参観するところとなつた。検察庁、裁判所、警察関係者としては元検事総長福井盛太氏、現検事長佐藤博氏、白神検事正、その他高等裁判所裁判官多数、静岡県警察部長、GHQ警察隊長がある。著名人としては周藤英雄氏、鈴木茂三郎氏、一松定吉氏、林譲治氏等々特に林氏は「唄に聞く下田港や春の月」の一句さえそえてある(署名簿写添付)。そしてこれらの人々から猥褻物であるとの注意を受けたことのないのは勿論、学術的、芸術的に激賞されたことさえある次第である。又町を訪れた朝野の来賓には、わざわざ町から右秘仏の写真集(本件物件)を贈呈するのを常としていた次第である。

四、秘仏並にその写真については右のように我国の最高の智識階級の人々が賞讃し、或は真面目に鑑賞し、尠くとも何のとがめもなく、もちろん秘仏の陳列は罪とならずとして起訴もなく、その写真を特定の人々に直接販売する目的で所持したことを、突如として犯罪と断定したのは、徒らに民を網するもので、事実の誤認という違法ばかりでなく、刑法の目的に反していると思う。(特殊な修正を加へぬ以上、写真は実物に及ばぬことは今更云う迄もないところであろう。)

そして右の写真自体も、今日まで幾度となく、各地に於ける公開の展覧会に陳列され、また雑誌や著書にも公表され、何等の問題も起きなかつたものである。1 昭和二十二年頃読売新聞社主催で浅草の松屋で「性の展覧会」が開かれたが、その際秘仏の写真も展示された。その際被告人は右松屋の来賓室で日本赤十字社代表の某氏、読売新聞社企画次長等と昼食を共にしたが主催者から右は「GHQと最高検の検閲を受けたものであること、前日高松宮が参観され有意義たりとして激賞された」という話があつたものである。(それには確たる証人がある)(その後右同様の展覧会が同社の主催で大阪の某百貨店でも開催され右の品も展示された)。2 昭和二十二年頃夏松江市の島根新聞社主催の展覧会にも本件同様の写真十二枚が出品展覧された。(その後右同様の展覧会が岡山方面にも開催され、同様出品された)。3 昭和二十三年八月五日から十八日迄静岡新聞社主催、静岡軍政部、静岡県、静岡市の後援で静岡市松坂屋で「完全なる結婚展」が開かれ、了仙寺の秘仏も出品すべく広告してある。(但し寺の自重で不出)(新聞記事御参照)。4 其他本件秘仏は、写真として、或は記事として、権威ある学術書や新聞雑誌に公然掲載されたものが多数ある。それ等のうち、被告人所有のものを掲げると、A 毎日グラフ 昭和二十二年十二月十五日号、B 静岡新聞 昭和二十一年十月十四日号、C 中外日報 昭和七年九月三十日号、D 神道の宗教発達史的研究 中文館発行一三四九頁、E 日本に於ける性神の史的研究 潮流社発行第十七頁、第十九頁、以上のように美術品又は学術品として扱はれて来たのが、本件の秘仏であり、その写真である。5 又本質的には猥褻物ではないが、チヤタレー事件の裁判のように、本件も所持陳列の形態に於て注意を欠く点があるかというに絶対にない。何故ならば、秘仏自体についても酒気を帯びたものや未成年者にも拝観を許さず、一々住職が案内説明しているのであるが、その事実は、前記の(毎日グラフ写真)によつてもわかり、ことに同写真中に写されている掲示は、右の制限をしていたことを示し、従つて入場者でなければ右の写真を買うことが困難であつた事実を明らかにしている。

(右の陳列場は寺院の内部にあり右は検証を申請して一層明らかにしたい点です。)

(その他の控訴趣意は省略する。)

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